コラム
Media Innovation Lab
【スペシャル対談】テクノロジーの進化はビジネスをどう変えるのか (後編) 【Media Innovation Labレポート.36】
COLUMNS

森本 典繁氏
日本IBM 
副社長執行役員 最高技術責任者 兼 研究開発担当
一般社団法人 情報処理学会 会長
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安本 純毅
博報堂DYメディアパートナーズ
イノベーションセンター センター長
MEDIA INNOVATION LAB ラボ長

博報堂DYメディアパートナーズ・MEDIA INNOVATION LABの安本純毅と、日本IBMの研究開発部門のトップ、森本典繁氏の対談の後編をお届けします。後編では、データ活用のあり方、EVと自動運転、省電力化の必要性、広告・メディアビジネスにおけるテクノロジー活用の可能性などをめぐって未来を展望するディスカッションが展開されました。

前編はこちら

ルールが確立すればデータ活用はさらに進む

安本
Web3の時代を迎え、「データの民主化」が重視されるようになっています。データは企業やプラットフォームのものではなく、個々の生活者のものである。そういう考え方が広まっています。一方、広告配信にデータは不可欠であり、政府もデータを活用したデジタルサービスを推進しようとしています。データの民主化を進めながら、同時に一人ひとりの生活者が幸せになるようなデータ活用をどう実現すればいいのでしょうか。

森本
生活者が自分のデータを提供することでどのようなメリットが得られるか。それを明確にするべきだと思いますね。個人情報保護が重要であることは言うまでもありませんが、メリットがあれば自分の情報を部分的に提供してもいいと考える人は少なくないでしょう。インセンティブをもらってアンケートに答えるのと同じです。生活者のメリットをはっきりさせたうえで、データ活用のルールを厳格化し、事業者側に不正があったらペナルティを課す。そういう仕組みをつくることが必要ではないでしょうか。

安本
データの取り扱いルールが明確になれば、データ活用はもっと進むということですね。

森本
そういうことです。例えば、各医療機関が保有しているデータを連携できれば、新しい治療法の発見や創薬などの可能性が大きく広がるはずです。しかし、そのような動きはほとんど進んでいません。プライバシー保護の問題があるからです。プライバシー保護をしつつデータを活用できる仕組みをしっかりつくって医療データの連携を進めれば、間違いなく新しい価値を創出することができます。それと同じことが、社会のあらゆる領域で言えるのではないでしょうか。

「省電力化」というハードルをいかに越えていくか

安本
モビリティについてもお考えをお聞きしたいと思います。
現在、EV化と自動運転の実用化が世界的に進んでいます。自動運転が最終段階のレベル5になれば、人が運転する必要がなくなり、自動車は純粋にプライベートな移動空間になります。その空間で人々はコンテンツやエンターテインメントを楽しむようになるだろうと言われています。複数のディスプレイが搭載されて、いわば車内がメディアになり、車が「スマホ化」するということです。しかし、それを実現させるためには乗り越えなければならないハードルもあると思います。どのようなハードルが考えられるでしょうか。

森本
自動化技術だけを見れば、自動運転そのものは近いうちにレベル5まで行くと思います。問題はそれが日常生活で本当に使えるものにできるかどうかということです。例えば、「自宅の車庫に新しい鉢植えを置いたから、車を少し寄せて入れなければならない」とか、「保育園に子どもを迎えに行くときは、保育園の玄関横に駐車してはならない」といったことを1つ1つ車に覚え込ませなければなりません。完全に無人化するという事は、そういう細かい問題をクリアする必要があります。

さらに本質的なのは、車載システムの消費電力の問題です。今日の自動運転に必要な最新のAIコンピューターを動かすために必要なプロセッサーパワーは350TOPS 程度と言われています。これは10年ぐらい前ならば国内のスーパーコンピューターのトップ10に入るくらいの性能でしたが、今は1枚のボードにして車に搭載することが可能になっています。ただし、レベル5の自動運転を実現しようとすると、必要なプロセッサーパワーは4000TOPSほど必要と言われています。つまり、前出のスパコン並みのボードを10枚以上載せなければならないということです。

コンピューターやプロセッサーの処理速度をあらわす単位。1TOPS (Tera Operations Per Second)は1秒間に1兆回の整数演算を実行できる能力。

ボード1枚に要する電力は、1時間で最大500W程度と見られているので合わせて5キロワットの電力が必要になります。現在の車載の電池容量が35−40キロワット程度なので、1時間の走行で、モーター駆動以外の自動運転機能だけで電池の総容量の15%を消費してしまい、EVの航続距離を著しく減らす事になってしまいます。

安本
つまり、車載コンピューターを1時間動かすと、1時間走行したぶんの電力がなくなってしまうということですね。

森本
そういうことです。自動運転用のコンピューターを動かしながら走った場合の消費電力はほぼ2倍になると仮定すると、単純計算で航続距離は2分の1になります。400km走ることが可能な車が200kmしか走れなくなってしまいます。加えて車内がエンターテインメント空間になるとなれば、さらに多くの電力を消費することになるので、航続距離はさらに縮まります。「楽しいけれど、長くは走れない車」になるわけです。これは現実的ではありません。

必要なのは、自動運転に限らず、AIを動かすためのコンピューターの消費電力を下げることです。おそらく現在の100分の1くらいまで下げないと、レベル5の自動運転車の実用化は難しいでしょう。そのために、現在、IBMを含めて世界中のプレーヤーが省電力AIチップの開発を急いでいます。

安本
IBMは具体的にどのように省電力チップの開発に取り組んでいるのですか。

森本
まず、IBMのメインフレームコンピューターでAI処理をするために開発した新しいプロセッサーがあります。これによって、当社比でAIの処理の電力効率が14倍ぐらい上がります。昨年発売されたメインフレームには、すでにこのプロセッサーが組み込まれています。

このテクノロジーをさらに発展させて、将来的には車載コンピューターやPCでも使えるAIプロセッサーを研究しています。これが実現すれば、さらにもう一桁ぐらいの省電力が実現する可能性があります。データセンターのサーバーなどにもこの省エネプロセッサーが導入されれば、相当大きなインパクトがあると思います。

安本
AIを動かすのに大量の電力を要することは、世界でも問題視されていますよね。
電力問題は環境問題にも直結します。

森本
おっしゃるとおりですね。現状のコンピューター技術では、マシンをたくさんつなげればつなげるほど、そして大きなモデルを学習させればさせるほどAIは賢くなります。アルゴリズムが同じ、ハードウェアも同じだと、どれだけ多くのマシンを動かしたかが勝負になります。別の言い方をすれば、電力を使えば使うほどAIは賢くなるということです。

安本
日本は電力をつくるのに要する原料の8割を輸入に頼っています。円安が進んで、電力コストも上がっていますね。

森本
電力勝負になれば、日本に勝ち目はありません。この構造を何とか変えなければならない。

これからの時代は、AIのパワーが国力を左右することになります。AIが生み出したものが経済や科学技術に影響し、人々の生活を動かすことになります。だからこそ、新しいアルゴリズムだけではなく、半導体やAIチップの開発が必要だし、省エネ技術の実現が求められるわけです。さらにその先にあるのが量子コンピューターです。量子コンピューターは、極めて複雑な計算を短時間で行うことが可能です。計算時間が短いということは、消費電力も少ないということです。1分かかった計算が1秒で終われば、必要な電力は60分の1になります。人間界が必要とするコンピューティングパワーを、可能な限り小さな電力で提供していくこと。それに僕たちは今挑戦しています。

「本当にほしいもの」をリコメンドしてくれるサービスを

安本
広告ビジネスやメディアビジネスにおけるテクノロジーの可能性についても意見を聞かせていただけますか。

森本
メタバースやXRに大きな可能性を感じています。現在のところ、リアルをバーチャルに置き換えることができるようになった段階だと思いますが、今後はリアルでは絶対に体験できないことが体験できるような方向に進めば面白いと思います。
体を仮想的にミクロ化することで葉っぱの葉脈の中に入り込むことができるとか、ピノキオみたいに鯨の腹の中に入れるとか、脳の中を探検できるとか。

もう1つ、僕が大いに期待しているのがリコメンドサービスの充実です。
自分が本当にほしいものを見つけて教えてくれるサービスがあれば、それにお金を払ってもいいと考える人はいると僕は思います。そういうサービスを実現させるには、エスノグラフィの分類をもっと細かくしなければなりません。生活者を20タイプくらいに分類して、それぞれの傾向に応じてリコメンドするというのでは、個々の生活者が本当にほしいものを言い当てることはできないですよね。では、2000ならどうか、2万ならどうか、20万ならどうか。そうやって分類をどんどん細かくしていくと、どこかで個々のインサイトを捉える確率が一気に高まるポイントが見えてくるはずです。そういう取り組みに、AIなどのテクノロジーを使っていく。それが1つの方向性だと思います。

安本
テクノロジーを活用する際の課題は人材です。ご存知のように、デジタル人材は社会全体で不足しています。僕たちも社内での育成と採用の両方に取り組んでいますが、人材不足の状況は解消できていませんし、テクノロジーの進化に合わせてスキルレベルを継続的に上げていくのもたいへんなことです。

森本
確かに難しい問題だと思います。テクノロジーは日進月歩で進化しているので、専門的知識はどんどん陳腐化していきます。現在のAIのアルゴリズムの専門家の育成が終わった頃には、その専門性が役に立たなくなっているということも大いにあり得ます。技術の進展に見合った人材戦略を立てていくことがこれからはますます重要になっていくでしょうね。

安本
すべてを内製化するのではなく、外部リソースを上手に活用しながら、変化に柔軟に対応していくことが必要になりそうです。

今日は本当にたくさんの示唆をいただきました。これからもぜひいろいろなアドバイスをいただけるとありがたいと思っています。

森本
こちらこそ、今後助けていただくこともあると思います。新しいテクノロジーの価値や有効性を一般の人々に伝えていくのは非常に難しいことです。コミュニケーションのプロフェッショナルである博報堂DYグループの皆さんのお力をお借りして、先端技術への理解を広めていけるといいですよね。これからもよろしくお願いします。

森本 典繁氏
日本アイ・ビー・エム株式会社
副社長執行役員 最高技術責任者 兼 研究開発担当
一般社団法人 情報処理学会 会長
1987年慶應義塾大学理工学部電気工学科卒業 日本アイ・ビー・エム株式会社入社後、メインフレームやPC用のディスプレイの開発を担当。1995年、米国マサチューセッツ工科大学への留学、MIT Media Labでの研究員を経てIBM東京基礎研究所に転入。2006年に米国IBMワトソン研究所赴任、2008年グローバル研究戦略担当に就任し、世界の10以上の地域で新規基礎研究所設置の為の評価や計画を立案。2009年にIBM東京基礎研究所所長に就任。2015年にIBM Asia Pacificに転出し域内10か国を統括するChief Technology Officerを担当。2017年に日本に帰国し、執行役員 研究開発担当に就任、2020年に最高技術責任者を兼任。2021年に常務執行役員に就任。2023年より現職。

安本 純毅
博報堂DYメディアパートナーズ
イノベーションセンター センター長
MEDIA INNOVATION LAB ラボ長
慶應義塾大学大学院理工学研究科修士課程修了後、1989年に博報堂入社。2015年に博報堂DYメディアパートナーズへ。
入社以来、人事制度改革、経営戦略策定、M&A、関連会社の設立など、博報堂DYグループの組織変革に携わる。
2019年より、博報堂DYメディアパートナーズ イノベーションセンター長として新規事業開発、メディア・コンテンツ事業に関する先端技術・ビジネスの研究、業務プロセス改革の3領域を統括。
2021年からは、博報堂の新規事業開発組織 ミライの事業センターを兼務。
2000年にUCLA Anderson School of ManagementにてMBA取得

※Media Innovation Lab (メディアイノベーションラボ)
博報堂DYメディアパートナーズとデジタル・アドバタイジング・コンソーシアムが、日本、深圳、シリコンバレーを活動拠点とし、AdX(アド・トランスフォーメーション)をテーマにイノベーション創出に向けた情報収集や分析、発信を行う専門組織。両社の力を統合し、メディアビジネス・デジタル領域における次世代ビジネス開発に向けたメディア産業の新たな可能性を模索していきます。

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