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データが巨大な力となる現代、「分かりやすさ」はときに罠になる【データ・クリエイティブ対談  第3弾】(前編)~ゲスト:久保田晃弘先生
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データ・クリエイティブの進化の在り方について、博報堂DYグループ社員と識者が語り合う『データ・クリエイティブ対談』。第3弾のゲストは、多摩美術大学の久保田晃弘先生です。急速に進歩するテクノロジーや変わりゆくメディアといかに対峙するべきか。博報堂DYメディアパートナーズの篠田裕之が伺いました。

“中立的な技術”は存在しない

篠田:これまでもアートはテクノロジーやメディアの発展とともに表現形式が変化・拡大してきましたが、新しいテクノロジーやメディアを表現として活用することは、油絵で表現された絵画や従来の映像作品と、どのような体験あるいは影響の差をもたらすことができるのか。本日はそういったことをお聞きしていきたいと思います。

まず、久保田先生は、さまざまなテクノロジーを表現に用いられてきたと思いますが、表現する対象とその手段をどのように決めていくのでしょうか。テーマに対してテクノロジーを選択していくのか、テクノロジーに内在する新たな倫理観や価値観の変化をテーマにしていくのか。

久保田:そもそも「技術」というものは、人間が作るものです。技術は、人間の何かしらの願望や欲望、あるいは夢から作られるものであり、自然発生的に生まれるものではありません。技術は客観的だったり中立的ではないのです。頭が良くなりたいとか、綺麗になりたいだとか、社会全体としての問題が暗黙の内に含まれています。もちろん新しく出現したテクノロジーにも、「人間や社会をどうしたいのか」という人々の内面が良くも悪くも反映しています。

技術や道具によって人間が形成されるという逆の側面もあります。そうした双方向の関係は、常に複雑に絡まり合っていますが、科学やエンジニアリングの文脈になると、何となく技術を人間から切り離して考えてしまいがちなのが危険です。数式やコードで表されると、何となく分析が可能なものと思ってしまう。すると、技術のいちばん大事なところが、急に見えなくなってしまう。だからこそ、技術にとっては、芸術や哲学といった人文学的な視点が大切だと考えています。

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篠田:つまり、テクノロジー自体に人の欲望から生まれたものとしてのテーマが内在しているということなのでしょうか?

久保田:伝統的な美術においては、画材や道具という素材や技法よりも、テーマやコンセプトの方が上位の概念でした。つまり、作品の主題や作家の感覚こそが重要だったのです。90年代に登場したメディア・アートの第一の特徴は、「(メディアとしての)技術そのものをテーマとした美術表現とはどういうものか」ということでした。もちろん昔から技術の問題は重要でしたが、デジタルメディア、そして今日のようにスマートフォンが普及した今の時代、人間や社会に対する技術の影響力は、以前よりもはるかに大きくなっています。

しかし、メディアアートにおいてテクノロジーをテーマにしたときに陥りやすいのは、単なる技術のデモンストレーションになってしまうことです。技術者が提示したスペックを表現するよりも、重要なことがあるはずです。

篠田:アートの文脈とは違うのかもしれませんが、広告においては一過性のキャンペーンとして、クリエイティブデータやメディアアートが用いられているように思います。すると、そのメッセージについて十分な議論がなされる前にキャンペーンが終わってしまいがちです。逆に、生活者データを得意先のビジネスと合わせて管理するデータマネジメントプラットフォームのように、インフラとしてのテクノロジーは成立しているけれど、そのインフラに表現が追いついていないものもあります。このような現状の中で、クリエイティブや表現として成立しつつ、生活者の行動やビジネスを変革できる恒常的なプラットフォームをいかに作っていけばいいのでしょうか。

久保田:恒常性を考えるときには、そのタイムスパンをどう考えるかが重要だと思っています。例えば「役に立つ」ということをひとつ取っても、「今役に立つ」のか「かつて役に立っていた」のか、あるいは「100年後に役に立つ」のか、とタイムスパンが変わることで意味も大きく変わっていきます。

タイムスパンの意味を考えるときに、教育はひとつの良い例だと思っています。授業を行うその瞬間、教員は可能なかぎり分かりやすく面白いものにしなければならないかもしれません。しかし、自分が教育を受けたときのことを思い返すと、授業を受けた当時は分からなかったけれど、10年経ってから「なるほど、そういうことか」と腑に落ちる授業もたくさんありました。つまり、授業評価というものも、授業が終わった直後に行うのか、半年後や1年後に行うのか、あるいは10年後に行うのかで、その結果は大きく変わってきます。ものごとの意味や意義を考えるときには、そうしたある種のスコープやタイムスパンをシェアしておかないと、何を議論しているのかすぐにわからなくなってしまいます。

同様に、分かりやすくすることで失われることもたくさんあります。“分からない”というのは、理解できないというよりも、想像力の外側、つまり想像できない世界にあることだといえます。想像できないことは、考えることができません。旅行もそうだと思いますが、見たことのない風景を見たい、聞いたことのない音を聞きたいと願うことによって、自分が知っている世界の限界を知り、その外にさらに大きな世界があることが初めて実感できるようになります。

人と切り離し、データを一人歩きさせることの危険性

篠田:久保田先生のお話を伺って2つ思うことがありました。

ひとつめは広告が生活者に与える影響評価のタイムスパンの話です。例えば購買の直前の行動を後押しするのは、短いタイムスパンで役に立ったということだと思います。一方、もう少し長めのタイムスパンで生活者の価値観に影響を与えるようなことが大事になっていくのではないかと考えました。

もうひとつは、“分からない、の外側”の話に関連したことですが、生活者の無意識を可視化することです。「なんで突発的にこんなことをしたんだろう?」と思う人の行動データを分析してみると、実はパターン化されていることがあります。習慣やその人が持つバイアスなどから知らず知らずのうちに大きな影響を受けていて、自由意志の存在が疑わしくなるくらい行動が決定論的になっているわけです。だからこそ、生活者に対して、それぞれどういうフィルターで世界を見ているかを自覚してもらい、そのうえでその外に別の世界があることをデータで示すのも大事なのかもしれないと思いました。

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久保田:今おっしゃったようなデータサイエンスや機械学習も含めて、今日広く人工知能(AI)と呼ばれている技術が危険になるのは、データから人間を切り離して独り歩きさせてしまったときだと思います。データサイエンスは、そもそも「なぜ」が非常に見えにくいものです。ニューラルネットワーク(※)がそのいい例で、ライブラリーを使って、そこに大量のデータを入れれば、何かしら答えらしきものが出てきます。しかし、なぜその結果が出てきたのか、という理由が人間にとって理解できないものであるかぎり、それを自律的なものとして扱うことはとても危険です。暗号通信のようなものです。するとAIも、かつての科学技術が何度も辿ってきた道のように、夢の技術だと思っていたものが、人間が殺戮のために使用する兵器にいつの間にかなってしまうかもしれません。技術が危険なのではなく、技術を作り、そして使う人間が危険なのです。

しかし逆に、人間とそうしたデータやアルゴリズムが、ハイブリッドなかたちで相互にコミットできれば、すごく有効なものになるとも思います。篠田さんがおっしゃったように、一体それが何を意味しているのかを、私たちに自覚させてくれるものもそうですね。目の前にある結果は、単にあるデータとアルゴリズムに沿って算出されたものでしかなく、その意味が正しいかどうかとは無関係です。ただ、そうした結果が出てきたことには、さまざまな要因があるはずで、それがデータ自体のバイアス(偏見)を発見したり、アルゴリズムの特徴や間違いを自覚させてくれるかもしれません。ひょっとしたら、計算結果に対する人間の解釈の仕方に、何らかの予断があったのかもしれません。人は都合の悪いことには気づかないふりをしがちですから。

※ニューラルネットワーク…脳機能に見られるいくつかの特性を計算機上のシミュレーションで表現する数学モデル

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久保田:今なぜその話をしたのかと言うと、単なる計算の結果を、理由を問わずに信じる人が、最近増えてきているからです。まるで占いや魔法のように、その結果を鵜呑みにして、気持ち良くなったり、怒ったり、人に話したりする。そこには、何も新しいものはありません。だからこそ、批判的な精神を持った人文学や芸術が大事になってくるんじゃないかと思います。

科学ですら、パラダイムが歴史の中で何度も捉え直されてきました。人間とは別の、客体化されたデータや計算だけで扱える世界があるという、僕から見れば非常に古い考え方が、AIやデータサイエンスというかたちでよみがえってきている。それはどうしてなのかを常に考えています。

篠田:データ自体も、生活者のごく一部を表したものであり、単体では偏りがありますよね。例えば、検索行動から生活者のすべてが分かるはずもないのに、そういうデータと対峙し続けると、いつの間にかそれが生活者の全てのように思えてしまうことがあります。人の行動の5%くらいを顕在化させているに過ぎないと捉えるべきなのに、その人の100%を説明しようとしてしまう。そうするとミスリーディングが起きますよね。

久保田:そうだと思います。さらに言えば、今日の経済や政治の中で、ビッグ・データや技術を推進したい人が、「このアルゴリズムで、こんなにあなたのことが分かります」と説明することで、それを聞いた人が「そうか、僕らの行動は計算によって予測できてしまうんだ」と信じてしまうことが危険なんです。原因と結果が逆になっていて、計算が人間を予測したのではなく、人間が計算通りに行動してしまうだけだから。

それは社会のプロパガンダと同じで、いつの時代にも、影響力のあるものは危険でもあるわけです。だから、新しいテクノロジーやデータの意味を、さまざまな観点から議論する場を作っていかないといけません。今、データサイエンスやAIの機械学習を、プロパガンダのように使おうとする人が増えています。「これでもうあなたの行うことはすべて予測できます」といって、みんながそう思い込んでくれたらラッキーなわけですよね。未来予測は未来決定ではありません。決して、騙されてはいけません。

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篠田:AIという言葉が出てきた瞬間に気をつけた方がよいかもしれませんね。

久保田:例えば1990年代に「ニューメディア・アート」として日本やヨーロッパで誕生した芸術表現は、そうしたアメリカ的カルチャーに対するカウンターとして生まれました。当時のアメリカは良くも悪くも楽天的でしたから、「コンピュータによって人々がみな平等になって、クリエイティブなユートピアがやってくる」と、スティーブ・ジョブズもビル・ゲイツも(本音は別として)言っていました。でも、人間や社会がそんなに単純でないことは、複雑な歴史を辿ってきたヨーロッパの人たちの多くは、当時から気付いていました。

今日の例で言えば、インターネットに常時接続しているスマートフォンはデータのアクセスには便利かもしれないけれど、監視社会をもたらした元凶でもあるわけです。テクノロジーが、そうしたことに使われていることを自覚しているかどうかが、大きな違いをもたらします。しかしさらに重要なのは、気が付いたこと、知っていることが、何らかの行動に結びつくかどうかです。

技術を闇雲に使うな、という話をしたいのではありません。僕らはもう技術なしに生きていくことはできなくなっていて、「スマートフォンを捨てましょう」と言っても仕方がないですから。ただ、そういった技術が何をもたらす可能性があるのか、あるいはその仕組みがどうなっているのかを考えることで、未来予測を未来決定にしないことが重要です。予測とは、到達すべき目標ではなく、外すべき指標なのです。

人間が“分からないもの”に接すると、そこで考えることを止めてしまいがちですが、それは逆です。分からないもの、理解できないものだからこそ、そのことを考え続けなければなりません。何かしらの意図や欲望を達成しようとしている人は、自分以外の人には考えないことを要求します。指図したり、号令をかけるのがそのいい例です。AIや機械の出力を信じることも、否定することも、考えずにできてしまうことです。そして考えるため、今の技術のすべてを知る必要はありませんし、そんな人もいません。技術を不可知なものにしようとする人が、今はいちばん危険な人たちなんです。

後編は、フィクションの持つ可能性に言及しつつ、データとどう向き合うべきかについてより深く議論していきます。

◆プロフィール

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久保田晃弘
アーティスト
研究者
多摩美術大学情報デザイン学科情報芸術コース教授
1960年生まれ。東京大学大学院工学系研究科船舶工学専攻博士課程修了・工学博士。非線形数値流体力学、人工物工学(設計科学)に関する研究を経て、1998年から現職。衛星芸術プロジェクト(ARTSAT.JP)をはじめ、バイオアート、芸術活動の圏論による描写、ライヴ・コーディングによるサウンド・パフォーマンスなど、さまざまな領域を横断・結合するハイブリッドな創作の世界を開拓中。芸術衛星1号機の「ARTSAT1:INVADER」でアルス・エレクトロニカ2015ハイブリッド・アート部門優秀賞をチーム受賞。「ARTSATプロジェクト」の成果に対し、第66回芸術選奨の文部科学大臣賞(メディア芸術部門)を受賞。近著に『遙かなる他者のためのデザイン』(BNN新社・2017)『メディアアート原論』(共編著・フィルムアート社・2018)『インスタグラムと現代視覚文化論』(BNN新社・共編著・2018)『ニュー・ダーク・エイジ』(NTT出版・監訳・2018)などがある。

 

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篠田 裕之
博報堂DYメディアパートナーズ
データドリブンメディアマーケティングセンター
データビジネス開発局 ビジネス開発部
兼 グローバルビジネス局 戦略企画グループ
データサイエンティスト。自動車、通信、教育、など様々な業界のビッグデータを活用したマーケティングを手掛ける一方、観光、スポーツに関するデータビジュアライズを行う。近年は人間の味の好みに基づいたソリューション開発や、脳波を活用したマーケティングのリサーチに携わる。

★こちらのコラムは博報堂DYグループの「“生活者データ・ドリブン”マーケティング通信」より転載しました
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